外向き矢印とは自分自身も貯蔵庫のエネルギー枯渇して真空状態になるまで激しい努力をする状態を指す。
それはある種、気絶する努力するつもりで全身全霊をかけて力の限りを尽くしていくこと。
それくらい努力できるころにはとりあえずの安定や目先の損得を気にする小賢しい悩みなどなくなってくるでしょうし、ある種それだけ努力すれば、悩みとなっている問題のほとんどは解決してしまう。
動いて、動いて動きぬくのです。
不撓不屈で諦めずに粘り抜くのです。困難の扉を叩いて叩いて叩きまくるのです。そうすれば、必ず何かの扉は開けていくはずなのです。
そのためには一切の言い訳をしない事が大切です。上手くいかなかった言い訳を見つける労力を、どうすれば上手くいくかを掘り出すことに全部フォーカスして生活するのです。
むしろ『この体の秩序を信頼し物事を成就させる』その道具としてこの自我を捧げていく、それが外向き矢印なのです。
それは真空状態になるまで外向きで激しい努力をする必要があるのです。
ある種、気絶する努力するつもりで全身全霊をかけて力の限りを尽くしていくことです。
ここだけ聞いちゃうと野球部的な、「この状態になって恐怖ベースにならない人なんかいるんですか?」みたいな感じになりますけど、
『この体の秩序を信頼し物事を成就させる』その道具としてこの自我を捧げていく事なのですのこの『その道具としてこの自我を捧げていく事』って書いてあるポイント、これ自体が外向き矢印(超努力)の根本にあるんです。
つまり、”滅私”。
自分の言い訳を殺すっていうこと。
言い訳が”死ねば助かるのに”ってずっと言ってて。
毎日自分の言い訳を殺して、それを俺は ”脱力の戦い・脱力の悪魔” なんて言っています。”脱力して自分の言い訳を殺していく”っていうこと。
で、逃げ道をなくしてただやることだけやってくっという。
その先に不安になったら「ただやることをやってないだけだ」と思って、”もう一個やるもう一個やるもう一個やる”っていうのをただただ無心で重ねる。
それが、この小賢しい悩みを解決するのが外向き矢印っていう意味。
だから超努力の外向き矢印には、脱力超努力っていう意味も伴います。
超努力って言っちゃうとどうしても誤努力に傾きやすいから、脱力超努力っていう文脈を付加しましょう。
まさに脱力してひたすらやってるっていう姿が超努力であり外向き矢印なのです。