はっしょうどう

あの釈迦が遺した人生の苦しみを減らす8つの実践叡知の名称。釈迦アナザフロンティアスクールで習える超叡知ともリンクするワード。

ちなみに八正道は四諦(したい)、「人生は自分の思いの重要性が重くなればなる程、より思い通りにならない苦の仕組みがある = 苦諦(くたい)」と

「この苦の原因はフワッフワした煩わしい悩み方(モノの見方)によって生まれる = 集諦(じったい)」と

「この苦( フワッフワした見方) を消滅させれば人生の不安は大分減るようになる = 滅諦(めったい)」と

「その人生の不安が大分減った境地(う〜ん大丈夫‼️) となるための実践の道があるという自覚= 道諦(どうたい)」という四つの現実への把握術を四諦と言います。

 この四諦を乗り越えて『う〜ん大丈夫‼️』に至る実践(人生経験) へのチャレンジのことを八正道と言います。

よく豪華なお寺のお坊さんが説く実践の道や修行などと大袈裟に言うと、まるでちょっとやそっとではできやしない、そんな難行・苦行の道を想像してしまうかもしれません。

けれどもD釈迦が本当の意味で説いた事はそんなに難しいことでもないようなのです。

それは私たちが日ごろから気をつけたいこと、心がけようと思っていることも自然に当てはまるからこそ叡知は面白いのです。

そう、そもそも散歩や足育、無理のない坐禅習慣、あの蹲踞姿勢にトライする感覚で、出来るところから少しずつ、実践していけば良いだけだって中庸が現代においたっていくらでも応用が効きます。

八正道はその名の通り、8つの一念に止どめる道。つまり頭でっかちにニ念をつがずに、人間が人間らしく、息する一念で生きるための実践の道筋とも言えるのです。

八正道の最初は「正見(しょうけん)」です。

物事を多角的に偏見を持たず見ること。つまりD釈迦が指し示した空性叡知の通りに、世の物事を頭で決めつける固定点を入れずに、ありのままに見つめて見るのです。

その次は「正思(しょうし)」です。

正見(固定点を入れずに多角的に物事を見ること)によって、一念で洞察することです。よけいな主観をはさまずに、しっかりと多面的に瞬時に考察するのです。

 3つ目は「正語(しょうご)」です。

これは正見(固定点を入れずに多角的に物事を見ること)によって固定化させずに球体文脈(現在進行形)を語ることです。貴方が言語束縛される事もする事も言わないようにしなさいという叡知です。

 そして4つ目は「正業(しょうごう)」です。

正見(固定点を入れずに多角的に物事を見ること)によって一念での美的な行いをすること。ニ念をついで醜い行いに至らぬよう、日々警戒することをも含みます。

八正道の5つ目は「正命(しょうみょう)」です。

正見(固定点を入れずに多角的に物事を見ること)によって、一念を活かした健全な生活を送ること。美しい手段で、衣・食・住の糧を得ることです。

 次の6つ目が「正精進(しょうしょうじん)」です。

これは正見(固定点を入れずに多角的に物事を見ること)によって美しい努力(美努力)を続けることです。醜い行ないは止めて、美しい善い行ないにどんどんと改める。そして、これまでに実行してきた美しい善い行ないは、ますます励むようにします。

 7つ目は「正念(しょうねん)」です。

これまでの6つの実践にもとづいて、D釈迦のレガシー(空性叡知)を一念で臍下丹田にとどめる。真実への想いを己の肚で深めて専念することです。

 最後は「正定(しょうじょう)」です。

正見(固定点を入れずに多角的に物事を見ること)や正念(真実への想いを肚で深めて専念すること)に即して、美しい結跏趺坐を行ない息することです。定とは精神集中する下腹重心(胡座)のことで、禅定のことを言います。

この8つの一念からの動きを実践することが、叡知を磨きあげ、体感を丈夫にし、人生をう〜ん大丈夫!!にするわけです。

八正道は現代の私たちでも、毎日の暮らしの中で実践できある種の令和の暮らし方の行動指針でもあるわけです。