がいぶないせい

外部内省とは外側の環境視点から洞察し五層対を考察することを意味していて、他人事を自分事として把握し認知する『大人なものの見方』をも意味する。

この逆である自分の内面から外部環境を妄想してる状態を、内部内省(セカイ系=幼児願望)とも言う。この内部内省している人は原則、この外部内省ができません。

社会的父性も社会的母性も外部内省できる人体に限って、まとわれる公的空気感である。

私情(内部内省)を挟んだ状態では、いつまで経っても他人事が自分事の、大人な手助けは出来ず、このあくまでも私情を挟まぬ他人事からスタートしたものの見方を、外部内省とアナザフロンティアスクールでは呼んでいる。

例えて言うなら外部内省できる人は、自分が見て感動してる海の景色は、また他人も別の形や意味合いで感動するという余白の多角性を、自身の内面に担保し瞬時に洞察するだろう。

また別の人にとっては、この海の景色が醜くまたは憎くすら見える人もいるだろうという余白の多角性をも、瞬時に外部内省者は内面に担保し洞察する事ができる。