ふくすうしょう

称とは社会は生産関係(もちつもたれつ)
によっててきているという概念であり景色である。

私達の暮らす社会は、大地や国という「地対」に、3人以上の会社や地域の「組対」がまとまっていることで構成されている。

そして組対と地対の社会は「生産関係(もちつもたれつ)」があることによって成り立っている。

たとえば、私たちにとって必要不可欠な“水”は、現代では蛇口をひねるだけで出てくる。

これは、水道管が日本中に張りらされているおかげだ。けれど、水道管を引いてくれた人がどんな顔で、普段どんな生活をしているかをボクらは知らない事が多い。

ても、ボクらは、間違いなく、見ず知らずのかに助けられて、はじめて喉が渇いた時に水を飲むことができている。

これが社会であり生産関係=ある種の経済である持ちつ持たれつの構造だ。

逆に、水道管を引いた人は、キミがどんな顔でどんな生活をしているかを知らないだろう。

その人は自分の家族のために仕事してたのかもしれないけど、結果的にボクらのためになっている事実それが経済構造なんだ。

これは、生産関係であり、社会であり、複称で持ちつ持たれつで助け合っていることのわかりやすい一例だ。

わたしたち=複数称という回転軸の意味。
水道管を引いた人にとっての”家族”は相似形称軸だけど、ボクらの殆どにとってその“家族”は複数形称軸(遠のいた先祖や子孫)である事が多い。

ボクにとっての“仲間”は相似形称回転数の軸だけど、水道管を引いた人にとって “ボクの仲間”は相似形称回転数の軸ではなく、ある種の複数称回転数の軸です。

つまり、かにとっての相似形称の回転数の軸は、ほかの誰かにとっては相似形称の回転数の軸ではないということ。

けれど、わたしたちは生産関係軸(持ちつ持たれつの縁)をもち、みんなで共有していることで、結果的に複数称の回転数軸(社会風土)はできているのです。