人には必ず内なる輝きがあって、できるようになりたいことが必ずある!
出来たい心は”積極的な待ち”である。
“今できることをやる”ということ!でもある。
それが、自己対話ができている、の意味でもある。
逆説に今の自分には”何ができないか”をわかっていること!
そして”できる”と”できない”の中庸は、
“今”である!
“『お前は誰だ?』
→『”今”だ』”という認知
要するに、”できない”が通り過ぎるのを待てば、“今”に生きられるようになる!!
それは“まだ玉残ってるだろ感”でもある。
あなたがスナイパーだとして、
もう残りの玉がこれで最後だとしたら、どうしますか?
下腹重心で肚に聴いて、肚が”OK”というまでは、”できない”が通り過ぎる(=できる、できないの振り子が通り過ぎる)のを動かずに”待つ”!
そのためには、まず自分に”何の玉がどれだけ残っているか”=”自分に何ができて何かできないか”を自己対話で知ること。
今できることをやり、今できないことも含めて理解=観れていること、それが受け取る出来たい心の意味である!
そして”出来たい心(芯)”とは、あくまでクラウドに宿る記憶が指し示す”可能性の光”であり、それは”今できること”を積み重ねた結果として、“できる”のフォルダを受け取り確信、予感に変わっていくものである。
だから出来たい心が湧いてくると、
『お前のポジションは、”今”だから』と自覚する。そして
『”今”について~、ヨーイ、ドンッ!!』と時空を駆け抜けるようになる。