あたまじゅうしん

頭重心とはみぞおちより上の頭に血液と身体の重みがあること。

そもそも頭重心というのはその心身が即自因自果であることに気づきたくない状態。

そうすると心身を分離する。この心と体は別物だと考えます。

そうすると内部環境と外部環境との関連性を無視するようになります。

そうなると「あんな悪いやついるよね」「ああいうやついるよね」と認識している自分はなんなんだと疑問を持たなくて済むようになります。

そうすると苦楽を分離することができることができます。いや、楽しいこと欲しいな。でも、自分の苦は見ないようにする。

また、楽しいことだけ求めていくとなぜか苦があるの嫌だなって、麻薬に逃げたりする。つまり、苦楽を分離すると、学ぶことと行うことが分離できる。

つまり、、本当にその一人一時空において、ぬくもりの記憶において学ぶべきものに集中できていたら、自因自果は分離しないんですよ。

過去と未来は分離しないんですよ。その体で起こっている一人一時空が起きるんですよ。

で、記憶も失われないんですよ。
いいですか?『一人一時空、一宇宙の自因自果の課題、記憶に集中しきれる楽しさ元気を失うんです。』

みなさん今日、集中しきれました?その自分の心身から溢れるぬくもり、記憶の学びについてに言われるわけでもなく淡々とやりました?

そこに集中しきれていないのが、その体なんです。それを人のせいにする、社会のせいにする、戦争経済のせいにする。階級の上の人間のせいにする、教育のせいにする、教科書のせいにする…

あらゆることが行われてきたんです。それが偶像なんです。だから人間、ホモ・サピエンスはフィクションを作って、社会を作るんです。

なので、今が過去が(内面)で未来が(外部環境)で分離します。未来依存症になって承認欲求に気力、体力を奪われるようになります。

ここの体が過去で、外に向かうのが未来なんでしょ?

ずっとその承認欲求でずっと苦しむ、それが頭重心。いつか未来で幸せになれると外を眺めているでしょ?

つまり、自因自果を分離しているんだよ。“今ここ”が過去で、いつか未来があるはずだってネットを見ても、外の他人を見ても、社会を見ても、働いていても起こっているんです。

だから自因自果に気付けてないんですよ、このカテゴリー1まさに一年生の惑星は。

いいですか?じゃぁ、どうするの?って話でここなんですよ。

『“今”という内なる法則、記憶ガイドに気づき続ける状態』、これはどういうことかというと、ぬくもり、記憶において学ぶべきものがあるということに気づき続けている状態なのです。

みなさん、自分の体温において、“学ぶべきものがあるぞ”と、どんな社会だろうと、時代だろうと、他人だろうと関係なく、絶対に学ばなきゃいけないものがあるんだって気づき続けられました?今日?

それ(気づき続けられないこと)が触覚静電気ワットの低さなんです。

みなさんの蹲踞をしている時のだらしなさなんです。それを明治時代に生まれようが、縄文時代に生まれようがパンゲア大陸の文明に生まれようが関係ないですよ。

なんか文明が救ってくれるとか思っているんじゃないよ!!!

Dはそこはめちゃめちゃ厳しいよ。Dはどの文明にいようと、どの時代にいようと最底辺のカテゴリー1の一年生の状態に立っても忘れないよ。気づき続けるよ、だから教えられるじゃん。

それに肚から納得しているの?そうではないから体が元気なくなるんだよっていう秘密を説いているんだよ。

なので、(気づき続けられると)一人一時空、一宇宙の自因自果の課題、記憶に集中しきれる楽しさ、元気が湧いてくるんです。

さて頭重心ではなく、自分のその体の肚の体温に基づく、下腹重心で学ぶべきものに集中しきって、その掛け替えのない今をまさに楽しめていますか?
どうですか皆さん?