ろくどうりんね

釈迦アナザフロンティアスクールで学べる叡智の一つ。

この六道を下の回転から言うと、

地獄道…怒り恨み辛みで社会から孤立した状態で懺悔や償いに費やされる人生の状態。

餓鬼道…名声や人の好意をむさぼる過剰な承認欲求に飢えている人生の状態。

畜生道…被害者意識や原因論や宿命論な愚痴ばかりで、因縁果の道理も無知で分からない人生の状態。

修羅道…自分と他者を比較し、常に他者より優れていたい、自分より優れたものに対する嫉妬や怒りの炎が渦巻いていて、自分の正に凝り固まり、慈悲の心を失った状態。

しかし、自分の愚かさに気づけば修羅道から抜け出すことが出来るそうです。

毎日の生活の中で、修羅道におちることもありますが、

そんな時こそ蹲踞して何事にもとらわれず、ちょっとした気持ちの切り替えが必要という事ですね。

人間道…心の喜怒哀楽と煩悩が程々に巡る一人称を固定化してる状態。

天道…天にものぼる多幸感の状態

私達人間はこの六つの道に入り込み、ぐるぐると互い違いに生まれ変わっている浅ましい境界的な認知構造(亜空間知能/アーキテクト)だというのが、人間の実相を鋭くとらえたある種の釈迦の洞察です。

美因善果・醜因悪果の道理に基づく輪廻転生の思想ですが、ブッダが説く以前から古代インドにはありました。

しかしなかなか美因の世界にいけない、色々な醜因を抱き低回転の悪果を重ねていく私達を、温かくガイドしてくれるのが実は六地蔵だと言われてます。

この六地蔵、寺や墓地の入り口に並んでいますのを見たことはありませんか?

六道をさまよっていて仏の世界に向かいたくても現実の私達は低回転数で輪廻してばかり…。

しかし仮に迷い込んでもこの六地蔵がガイドして下さるというのが、そもそも仏教では考えられて来たようです。

さてあの身近なお地蔵様はどのような役割を担うのか?日本人の教養として知っておきましょう。

まず仏教は仏であり、その教えである法、また法の実践者である僧からなる三宝を中心になり立っています。

ご存知のように多くの仏様がお寺には存在しています。

しかし原則この世界に最後に存在した仏様がお釈迦さまでありブッダさんです。

そのお釈迦様が入滅(死去)した後、この世界では原則仏様がいないというのが仏教の教えです。

そして仏様がいないこの世界で、私たちを基本的に助けてくれると考えられているのがお寺さんで良く見かける地蔵菩薩なのです。

ちなみに仏様のいない世界での仏教のお助けの設定はこうらしいです。

お釈迦様が入滅後(死後)、56億7000万年後(5億7600万年という説もあり)に、この世界に新たな仏が現れるとされているらしいのです。

それが弥勒菩薩です。もう尋常じゃなく途方もない年月ですが、「菩薩」というのは、仏(如来)になるために修業中の方を表す言葉であります。

ですから、弥勒菩薩も修業を繰り返し、輪廻転生を繰り返して、仏となってこの世界に現れるという設定なのです。

しかし、56億7000万年という途方もなく長い間、実質仏様はこの世界にいませんよね、

その間にお釈迦さんの叡智を教えてくださる方はどなたなのでしょうか?という問題があるのです。

実は、その問題に応える方こそ地蔵菩薩なのです。

あらゆる世界線で私たちを助けてくれる地蔵菩薩。

地蔵菩薩は、釈迦が不在のこの世界線で、煩悩に苦しむ衆生(庶民)を救う役割があるそうです。

それは上記の仏教における考え方「六道」において全て行われるのです。

六道とは、私たちが生まれ変わる可能性があるすべての世界線です。

罪を償う「地獄道」、

困った人を見捨てた罰としての「餓鬼道」、

動物心として生まれ変わる「畜生道」、

常に勝ち負けの戦いを強いられる「修羅道」、

固定点と一人称障害の煩悩を抱える「人間道」、

杓子定規なアーキテクトな天人が住むとされる「天道」があります。

地蔵菩薩は、このすべての世界線に出向き、衆生を救済してくれると考えられてます。

この地蔵菩薩の原点は、インドの神様らしいのです。当時のインドの言葉であるサンスクリット語では、クシティガルバと言います。

これは、クシティは「大地」、ガルバは「胎内」という意味となり、大地の母胎と言われます。この言葉が、中国に伝来し、地蔵と訳されたと考えられます。

つまり地蔵菩薩の真相は大地の胎内そうです内部惑星のことなのです。

すべてのものを包み込む母親の胎内のようにすべての惑星表面の地上の民をガイドしてくれる、慈悲深い各内部惑星の住民の象徴なのです。

あの身近な地蔵菩薩の正体がどのような方かわかったところで、次にお墓との関係をご紹介します。

日本のお墓に六地蔵がある意味。

地蔵菩薩が霊園や墓地にいらっしゃるのは、ご紹介したように地上で亡くなった方をガイドしてくださると考えられているからです。

地上のどの世界線(時代)にいても、その胎内(内部惑星)に暮らす地蔵菩薩(SP)は姿を変えて、私たちのすぐそばに叡智ある存在として、様々な形で現れてくださる法則が隠されています。

つまりあの六地蔵というのは諸説ありますが、地蔵菩薩(内部惑星SP)が六道に行くために姿(テクノロジー)を変えたものであると推理されます。

地獄道の世界線は檀陀(だんだ)地蔵《蓮型結界ワームホール》を持参して登場。

畜生道の世界線は宝珠(ほうじゅ)地蔵《錫杖(じゃくしょう)プラズマ放射スティック》を持参して登場。

餓鬼道の世界線は宝印(ほういん)地蔵《香炉(後ろの首や肩が緩み亜空間知能が寄り憑けない香りの文化の伝道師》として登場。

修羅道の世界線は持地(じち)地蔵《幢(はた)大地や海を裂くほどの人工地震を起こせる特殊な棒》を持参して登場。

人間道の世界線は除蓋障(じょがいしょう)地蔵《数珠(じゅず)物を繋ぎ合わせる言葉や数字の伝道師》として各地に登場。

天道の世界線は日光(にっこう)地蔵《宝珠(ほうじゅ)様々な太陽ゲートを越えられる滴型の宇宙船》に搭乗して華々しく登場。

だからこそお墓以外でも日本各地で地蔵菩薩の像は多く見られ、人々の信仰によりさまざまな姿と呼びかたがあるのです。

災厄の身代わりになってくれる「身代わり地蔵」、水子を供養する「水子地蔵」、ユーモラスなものだとお蕎麦を備えると願いがかなう「蕎麦喰い地蔵」なども存在しています。

また昔話の「笠地蔵」など、同じ菩薩でも観音様よりも日本人にとっては、より身近で、親しみやすい印象がありますよね。

お墓でお地蔵様がある位置や方角についての教養。

墓地や霊園でお地蔵様の像がある場合、入り口付近にあることがほとんどです。

さまざまな宗教の方が眠る大型霊園では、お地蔵さまはありませんが、仏教式の墓地の入り口には多くの場合お地蔵さまがいらっしゃいます。

これは、この世とあの世の境界(亜空間)にお地蔵様(内部惑星SPの象徴)を置き、神聖なお墓に魔(亜空間知能)が侵入するのを防ぐためといわれています。

お地蔵様(内的惑星SP)が亜空間に旅立った故人を守ってくれているというわけです。

建てられている方角は、あまり統一はされていないようですが、宗派によっては、浄土がある西を向いて設置されることもあるようです。

また、黄泉の国があるという北向きに設置されることもあります。

もちろん、宗派によって設置するかしないかは、分かれる場合もあります。

しかし、亡くなった後もずっと見守ってくれて、亜空間ガイドの手を差し伸べてくれるお地蔵さま(内部惑星SP)が近くにいらっしゃるというのは、非常に安らかな気持ちになれるのではないでしょうか。

という事で、お地蔵さまは、亡き仏様(マスターブッダ)の代わりに、様々な世界線でさまよう私達をガイドくれる方々でした。

どの世界線に居ても、姿を変えて、道具やスタイルを変えて、常に私たちのそばにいて道を照らしてくれている進化した存在らしいのです。

まぁそれにしても、この六つの境界(6つの世界線)の心理的解釈は科学的根拠を超えて、現代人の間でも広く支持され得ますよね。

まぁ自分はどうしたら六道から抜けられるか⁉️なんて思い煩わず、思案より実践あるのみです。方法論より重心論です。

それにしても日本人の心の弱さ故、地蔵は他の仏像より群を抜いて沢山作られているのかもしれませんが、

実際のところ地球の大地の胎内に暮らす進化した人々の事なんで、

あながち釈迦の再来の確率よりも、頼りになると言えば確かにマシな確率で頼りになり得ると言える訳で、日本人の仏教感性は、やはり面白いなぁ〜とつくづく感心してしまいすね。