みゅとす

古代ギリシャでは神話おとぎ話、フィクション虚構の物語を意味する。

古代史では自然現象を神の怒りとしてミュトス的(フィクション)に捉えていました、それに対しギリシャの哲学者らは自然をミュトス(一方向的な思い込み)ではなく、自然のなかの事象を多角的に拾い集めキチンと思考停止せず、自然のなかに共に見出し合える同意点や共通点を根源として、かの『ロゴス(法則)』として探り当てる事に貢献しました。

これが自然哲学というものの始まりでした。そしてそこで見出した万物の始原を『アルケー』と古代ギリシャ人は定しました。

しかしアレクサンドロス大王〜ローマ帝政の時代になると、アテネにストア派という哲学集団が築かれたが、そのストア派は当時の浅いヌメヌメした欲望に頽落していたアテネ市民に逆らうように、欲望をロゴス(法則)で制限して禁欲的に生きれば、この日々悩まされてる(情念=パトス)から解放されて、無情念=アパテイアに到達できると安直に考えてしまいました。

これこそが不安のない最高の幸福だと、かのストア派の創始者ゼノンは声高に謳ったもようです。そしてこれが世に言うストイックの語源ともなったのです。

しかしこのストア派を青春エイリアンズ視点で振り返ってみれば、情念を無くすストイックによって無情念になっても、それこそ結果的により不安になり、神経症が酷くなることも現代病理では理解されている。

情念からの痛みの反応は人間に必要な機能であり、ストイックに感情麻痺になることは、人間という自然現象に対し、むしろロゴスではなくミュトス虚構であるとストア派にはエイリアンレベルで言ってやりたい。

欲望を無くすという欲望も、情念の被投企性から解放されたいという情念も、よりゲノムをこじらすだけである。ゲノムの進化にはストイックさなど実は要らない。

きっとプラトンならこう言ったかもしれない、もっと欲望の中心機能アレテーを感じていき、もっと情念の影ではなくイデア光源を見出しなさいと、彼ならさらっと温かくストア派を見つめ鋭く説いてくれただろう。

エイリアン響社長も、現代のストイックなゼノン。あらゆるストア派の相似形に語りかけている…

どうかミュトス虚構なおとぎ話に取り込まれぬように警戒しなさいと、キミの人体のアレテーやイデアな記憶、その光源を見失わないように想起しなさいと…