めいじかん

明治感とは司馬遼太郎さんが描く『坂の上の雲』などに登場する、秋山兄弟や正岡子規ら明治時代を代表する彼ら明治人特有の空気感の総称を指す。

当時の文明開化期の彼ら明治人はどんな困難があろうと、前だけを見て、坂の上に光る一朶(いちだ)の雲に立ち向かう姿、それはアメポン化した令和の我々の憧れの的となる圧倒的な美しき背中であった‼️

この明治人の力強く輝く楽観さ、それが彼らの特徴だった。

そこには決して識字率などで世界に引けを取らない寺子屋教育文化や、士官学校で培われる論語や、陽明学などの中国古典生活に根付いた武士道の面影、現状の力差を冷徹に見切った上での謙虚な異国への学習。さらに日本滅亡その切迫した欧米列強の帝国主に対する健全な危機意識、こうした外圧(時対)とそれに屈する訳にはいかない各自の内圧(=叶死見ありがとう)が、彼ら明治人の体感には矛盾を矛盾なく着実に育ませていた訳です。

ちょんまげと刀を無くし行き場を失った明治人は、勉学と軍備の近代化という途方ない目標のもと、藩同士のいさかいをやめて一致団結して日本というまだ見ぬ国家創成に勤しんだ。

特に東郷平八郎氏や秋山好古氏の自己研鑽の結果打ち立てられたリーダーシップに見る、知と仁と勇のバランス感覚には目を見張るものがあり、現代の我々こそが、見習うべき社会的父性が、この当時の万人の明治人の大人達の姿には確実にあったのだ。

ゆえに敗戦後の昭和平成というマスオ化または無教養化した社会的父性ではなく、明治の多角的教養と胆力多き先人らの言い訳しないガッツ、この和の国の社会的父性へ憧れ、そこに敬意を払い、現代っ子の私達こそこの姿を学ぶべきだよという明確なムード、これを「明治感」という言葉で、響社長は指し示し続けている。

そして敬意を表すべき凄味のある明治人の活躍は、決して男性陣だけではない。

この当時の名もなき明治女性の威厳ある撫子たちも間違いなくジメジメ言い訳せず、黙々と命を張り続ける惚れた漢を想い、いずれ公を背負う息子や娘に壮健な心身を願い、自分の身を削ってまでも勉学を与えたい、米を食わせたい、さらに良き師に恵まれてほしいという圧倒的な社会的母性の願いが、見事に板についていた。

この地に足のついた肉感ある献身性を持つ、明るくたおやかな女性たちの足腰で、この激動の明治という時代は支えられ、まさに輝きに溢れていたのだ。

だからこそ貧しき中でも逞しき志士や毅然とした娘らが、日本中に育成されていた訳です。

(当時の欧米列強の高官どもを驚嘆させた撫子らの風景を記した手紙や記録がでも多く残っています。そこには自国の女性との違い、日本女性の上品さや感じの良さを書き留めてあるものが多くあります)

これらはひとえに家を守る女性達の情緒が、現代とは比べ物にならないほど力強く、深く広くお国にまで行き届いていたからだと思われます。

明治の彼女たちはいかに無学で貧しくとも、人としてどうあるべきかは祖母や祖父、また周囲の武士や名士らを見れば、その肌身を通じて、言葉を介さずとも覚えておける風情な暮らしぶりだったわけです。

この生きた血の通った日本神話を明治女性達は子宮に持っていたと思われます。

命は儚くとも例え貧しくともそれは惨めではなく、あの世とこの世との健全な結びつきなのだと、お上を慕い、民を愛し、お国を想う。

どんな目の前の困難や理不尽さ、生病老死すらも、暗くならずにぬくもりをもって生き切ること。

それは与えることに象徴され、与え切る事で人生を全うすることを厭わぬ、先人からの力強きバトンリレーなのだと、屁理屈ではなく肌感で腹の帯を用いてしかと掴んでいたのが、この明治の女傑たちだったのだ。

そう人は死ぬものだと、、、若さは老いに代わり、老いは若さに代わり、世代間は手と手を取り合い命は守られ残るもの、されど辞世の句をみれば、あの世はこの世で、この世があの世で、人を想うこの風と香だけが、我が身の遺産となる事をいざ知らん。

ゆえに女傑とは護り死するという強かさの活かしにこそあることぞ、その姫君の勇ましさから学ぶ事なり。

おなごであること、すでに花を持てる事なり。

持てる者として、その悪用の末路を祖母は逸話で語るなり。ゆえに護るべきものに与え尽くす道のほか、この女の肚は決まらぬものと諭すこと、女傑の道なり。

これぞ明治女性の金字塔なり。

そして『明治感』この響きは過去の遺物にあらず、

再び彼らの艶かしき血潮は狭き出口を見つけ、

再び噴き出す日がいざ訪れん。

2039アナザフロンティア行動計画、

丹州への道いよいよ開国へ!!!いざ!!!!!