かだいのぶんり/かだいのすみわけ

“課題の分離” は「これはの課題なのか?」という視点を持ち、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるという他者を尊重する時空礼節的概念である。

そして他者の時空の課題に土足で踏み込むことをやめようよという考え方です。

「その選択による結末を最終的に引き受ける人がか?」その視点で考えることで誰の課題かを冷静になって見極めることができます。

例えば “自分の子どもが勉強しない” は、子どもの課題であり、親の課題ではない(勉強しなくて将来困るのはあくまでも子ども自身)という視点なのです。

そして、実は対人関係のトラブルは、他者の時空課題に踏み込むことで発生しているというのが、この課題の分離を唱えるアドラー心理学自体の考え方であります。

上の子どもの例は、いわゆる「子どもの前に落ちている小石は拾うな」的な話なのかなという点では納得できます。

しかしそれと同時に、放任との線引きが難しいなとも感じますよね。

けれどアドラー心理学としては放任主を推奨しているわけでは決してありません。

アドラーは子どもを見守り、それがあなたの課題だということを伝え、そしてそれに向き合いたい場合はどこまでも支援するよという表明は、積極的にすべきだという考え方をするお方です。

ただしあくまでも親子と言えど “他者の” 時空課題なので、頼まれてもいないのに変な口出しや必要以上の干渉はしてはならないのです。

それは「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」このことわざが、まさにこれを表しているということです。

なので勉強も自主トレも就職も転職も、独立も退職もやるか?やらないか?決めるのは結局は本人!!!

親や指導者がとやかく言ったりやらせるものではないのです。

やるのは本人。親や指導者は支援に徹する。

これが時空課題の分離(課題の棲み分け)の自然な景色です。

そして本人の観測選択連係の結果に口出ししない。勇気づけ支援することに集中する。

これが、親と指導者や上司の課題でもあります。

本人が、やる!変わりたい!と思わなければあくまでどんな環境や道具を用意しても、何も変わりません。

結果的に人は誰でも自分自身に対し成長する力(決めて変化させる力)があるのです。そこを徹底的に勇気づけ尊重していくのです。
 
この力の呼び覚ましこそが課題の分離(課題の棲み分け)という叡智風景であると、叡智アナザフロンティアスクールでは学習ができます。