じんしゅうは/じんしゅうは

 神秀とは中国,隋末,唐初の僧。北宗禅の祖とされる人物。禅宗五祖弘忍《ぐにん》禅師のもとに 50歳で弟子入りする以前に,6年の間,儒仏道三教を学び精通した優れた学者であった。

弘忍門下 700人中の首席といわれ,則天武后(そくてんぶこう)に招かれ国師として厚遇されたファリサイ僧侶でもある。

また江陵当陽山に度門寺を建立した。その著『観心論』に,観心の一法(涅槃)こそが仏道の最重要であると説き,道信,弘忍禅師の坐禅観心(すわって心を見よ!)の思想を継承していることがわかる。

北宗禅(中国北部の禅)の思想を伝える『大乗五方便』には頓悟的性格(一挙に瞬時に悟る教え)が明らかにみられるから,北宗禅が漸悟(ぜんご/段々と悟る事)だけを主張した訳ではない事実は知っておきましょう。しかしこれは当時の南宗禅の人気と勢力ゆえに、北宗禅の一派が頓悟性を真似ていかなくてはならないという危機感ゆえに書き記したと思われる面もあると理解しておきましょう。

そしてこの北宗の代表的禅者である神秀(じんしゅう)と弟子の頃からすでに対抗していた慧能禅師の思想的特色は、実は「頓修頓悟(とんしゅうとんご/一挙に瞬時に悟る教えへの研ぎ澄まされた勘)」にあります。

そして五祖弘忍大師の建前上の一番弟子であった神秀は、実際に洛陽や長安といった中央でも公認された「両京の帝師」として仰がれた立派なファリサイ禅僧でした。

しかし結果的に弘忍大師の正式な後継者となった慧能禅師の法をついだ一派(慧能派)などの勢いが強く、神秀禅師の法が平安時代には日本にまで伝わりながらも後が続きませんでした。(要は良き弟子を育てられなかったという始末なのです)

他方、中国大陸の南の方で盛んになった慧能禅師の「南宗禅」は、神秀の「北宗漸悟」に対して「南宗頓悟」の禅と呼ばれ、唐宋の時代に中国全土に広がって発展し、宋時代に中国から受け継がれた我が日本の禅宗は、すべてその慧能派の法を受け継いでいるわけです。

さてそういう意図で編集された『六祖壇経』のなかに、五祖門下の高足で、学問にも秀でていた一番弟子神秀(じんしゅう)の漢詩と、米つき所で米をついていた、まだ行者(あんじゃ=剃髪得度しないお寺の小間使い)に過ぎなかった慧能の漢詩とが意図的に並べてあります。

それではそれを以下にご紹介いたします。

一番弟子神秀の漢詩。

身は是れ菩提樹(身体はすばらしい悟りの樹)、心は明鏡台の如し(心は透明な鏡のようなもの)。時時に勤めて払拭して(何時もせっせと磨いて)、塵埃《じんあい》をして染めしむる莫《なか》れ(埃で汚さないようにせよ)。

まだ正式に僧侶にも成れてない慧能(寺の用務員)の漢詩。

菩提もと樹なし(悟りなどというものはない)、明鏡亦た台に非ず(明鏡などという立派なものもない)。本来無一物(もともと何もありはしないのに)、いずれの処にか塵埃《じんあい》有らん(どこに塵や埃のたまるところがあろうか)

この当時から優秀な神秀は煩悩の塵を払って悟りを求めるような坐禅修行に励めと言うのですが、これはもちろん古代インド以来からある禅定(瞑想)の至上目的です。

そこにはどうしても段階的に習うということが中心にあるわけです。

ところがこの僧侶にも成れていない慧能という寺の用務員がそういう伝統的な禅定思想に対して、瞬時に革命的な視界を打ち出してしまったのです。

そして行く末にて慧能は神秀を凌駕する大師となり禅宗を禅定主(瞑想して段階的に悟ろうよ)から「叡知」第一主(この瞬間すべてを修養と悟りそのどちらも感じ抜くもの)へと転換させたのです。それこそが形骸化し始めていた中国禅のインド禅(如来禅)からの独立でした。

「本来無一物」は、迷いの煩悩を否定して菩提(さとり)を求める迷悟二元主義を超越せよということです。

迷いの向こうにそもそも安易に悟りなんかありはしないということです。それに気付くのが「頓悟(瞬時に今気づき続ける自覚)」です。

「頓」は素早く悟るというような時間的な早さではありません。迷いに対する相対的な悟り(狭い視点)を超越してしまえという合理的なレベルの視界の確保が「頓」(気づき)なのです。それが「本来無一物」ということでしょう。

このように北宗禅の神秀禅師のように世俗的優秀さ(当時の女帝に公認されていた高級取り学者僧侶である)その自己実現者ゆえに、この心を、仏語やお経そして座禅で”磨き上げている”この自分が!いずれにも未来に悟るのだと疑わない愚かなファリサイ姿勢の事を神秀派と呼ぶ。

神秀派の特徴は頭が切れるゆえに叡知の視界にも記録(言語)の履歴や積み上げ(勤続年)が通用すると言った根深い思い上がりである。

残念ながら彼らにとって、その体も心も覚えた言葉も、あの釈迦の教えですらも、自己実現や自己不安を消し周囲の他者を出し抜く道具(その優越感を満たす道)に過ぎない。

このような傾向をもって叡知や蹲踞を学ぶ者のことをアナザフロンティアスクールでは神秀派と呼んでいる。

しかし神秀派もいずれ己の言葉酔いや承認欲求、また体感の無さ、勘の鈍さに行き詰まり、慧能派に教えを乞う日が自然と訪れるのもその特徴である。