ひとりいちじくういちうちゅう

 普段私達は時計を見て多くの人々と時間を共有しその時を知り、目の前に広がる街の景色を見て、多くの人々と空間を認知し関係を待ち合わせる。それゆえまるで大きな同じ一つの時間と、大きな空間を、この星に暮らすもが一緒に共有してるかのよう毎日錯覚し暮らしている。

しかし内実は全く違う。これはもが体感している事実でもある。

同じ時間を共有してるはずだが、ある人には愉快で楽しく素早く通り過ぎるように感じる、またある人には苦痛で不快でとても長くゆったりと感じる。そんな例には枚挙にいとまがない。

つまり朝日が登り夕日か沈むこの恒常的時間とは別に、一人一人の内面では速度や角度の違う主観的時間が流れている訳であり、時計とは普遍的な物差しではないのである。

はたや空間ですらも各々の感覚器官で切り取られた範囲でしか空間も認知し得ないのは自明の理である。

だからこそ1人1人が認知する空間は量子的(5次元以上)にみれば繋がりあってはいるが同一のものではあり得ず距離と時間(4次元)によって厳然と棲み分けられているとも言える。

要は解像度を下げて三次元的に見ていれば同じ宇宙を共有してるように思い込む事は出来るが、真摯によりきめ細やかに見ていくと、どうしても生物や惑星や恒星のだけ宇宙(時空構成)が棲み分かれかつ繋がりあっているとも言えるわけです。

これは惑星間や生物種族間または太陽系間には関連がないという極論では全くありません。むしろ棲み分かれてるからこそ互いに支え合って影響し合っているとも言えるわけです。

つまり全体が共有してるただ一つの宇宙や時空なんてものはハナから存在しなかったわけで、宇宙の真相は多元ゆえに多元化しあって生成発展している”空”なる呼吸である。

それは呼吸の数だけ時空や宇宙があっても成立し得てしまう強大複雑で相似なエントロピー増減の無限小と無限大への運動を”空”と呼んでいるのである。

この事を1人1時空1宇宙という叡知ワードでアナザフロンティアスクールでは名付け、指し示している。