はいけいちょくし

アナザフロンティアスクールでは、人は生きている限り過去の行為の因縁に演繹的帰納的にかつ多角的に軽重の差はあるが、人体は巻き取られ続けるものであると学べる。

それは昨日の夕飯で食べたカレーを消化する事から逃げられる人間なんていないからねの真実である。

であろうとその身体からは逃げられないし、それは多様な過去の因縁がゼロベースになる、そんな人体端末は存在しないの意味でもある。

しかし勘違いしてはならないのは決してこの背景は過去の過ちにおける呪いでも束縛でもない。むしろ法則であり時空学習機会という祝福でありそして万事塞翁が馬でもある。

すでにその身体めがけて流れて来てる様々な小川(多様な過去の因縁行為の巡り)を、一体どんな大海に向けて合流(アウフヘーベン)させていくかを君は試されいる。

それは言葉で区画された法の外に、科学道具の有無の外に、貨幣で区画された街の外にエクソダス(脱出)する相互に絡み合う人体宇宙に、ある種の君の肌触りを感応させる事をも意味する。

この事を蹲踞をし静かに呼吸すれば、その中今に誰でも触れ合え背景直視することが出来る。

何よりも1番大事な背景は君に始めは名前(固定点)など無かったという広い景色、母なる母胎に繋がり誰でもない誰かであったという背景だ。

君に物心が芽生え覚えてきたものだけが決して背景ではない、むしろそれは氷山の一角である。もっと計り知れない背景が君にもあるのです。

だからこそ生きる事は想い出すこと。
涅槃寂静ニルバーナ(人体小宇宙)その身体の内に広がる関係性の体育に気づき築くこと。

そこを直視することをアナザフロンティアスクールでは背景直視(体育メインストリーム)とも呼んでいる。

これは慧能派でもあり、人体の背景を直視していけば必ずや宇宙に出て行き五層対教育そのものが君が生きる事そのものだったと自覚できるようになる学びでもあります。