ぐんちのう(じどうしゃこんちゅうろん)

群知能における自動車昆虫論とは宇宙海賊舞装団員の写真家でもある小林健太が、

一番大きい変化のきっかけとなるパソコンを新調した際に抱いた疑問から、

彼が独自にリサーチを重ね、土やペインティングなどの作品を試作した結果、彼によって導き出された概念体系である。

そして彼のセンスにより、この群知能はとてもわかりやすい比喩、自動車昆虫論というネーミングとなった。

その自動車昆虫論が考案された際の彼の問いかけとは、「新しいデバイスに買い換えたらできることが増えて少しテンションが上がるが、この繰り返しをただ一生やり続けるのか?」というものだった。

そう思ったら、テンションが一気に落ちた、そう嘆くのが彼のアーティストとしての腹落ちである。

進化するテクノロジーに世代を越えて振り回され、続いていく悲喜劇。そこにアートの面白さはあるのか?これは思ったよりクソだな!と彼は純粋ゆえに痛烈に思った訳です。

そして彼の導き出したキーワードは「退屈さ」

それは社会派アートほど、予定調和的な社会状況とアート活動が共依存になっていて、根本的な状況打破にはつながらないと。

そういったことも含めて全部にクソだな!って表明したのが、彼の2017年自動車昆虫論の展示会のテーマだった。

この「クソさ」や「退屈さ」って一体なんなんだろう?小林健太いわくその正体は、「低解像度の美」だった。

それは、平面グリッド構造が持つ美であり、
ゲーム『マインクラフト』はグリッド構造の象徴(ex.マインクラフトの中に作られたiPhone、そこに感じる徒労感に、全ての「退屈さ」の手触りがあると)彼は言っている。

そして、この退屈さ、徒労感は実は、
現実社会のシステムともつながっている!!

まさにそれこそが『自動車昆虫論』の意味でもある。

この私達の日常を結ぶ自動車の集合知には、機械論的な集合知だけでなく、精神的な集合知の側面もある。

機械論的な集合知は渋滞を生み出すが、

近未来に渋滞の解消のためにAIによる制御に委ねた時、実は僕らの心と呼ばれる集合知は完全にAIに置き換わる可能性がある。

そう、私達は大地の支配権を既に自動車に奪われており、近い将来にAIが車を運転することが日常になったとき、それが完全に奪われる段階が来るという世界線である。

その未来は既にはっきりと見えていて、
それが来るまでの間に、
、準備し学習することができる!!!

それは人類や文明にとって「道具」とはなんだったのか?その視点なのです。

彼の言う低解像度の質感は、「道具そのものが持つ質感」であり、それが分割グリッドである。

それは道具の起源は、私達の外にあるものではなく「脳内の分割グリッド」そのもの。

それは脳というツールが本質的に持つ、情報を「ビットマップ化」するために解像度を落とす機能である(ビット感↔️ベクター感)。

画像の”画”の字に含まれる”田”が、画像にベクター感ではなくグリッド感を持たせている。

これと似たような様々な分野の分割があり、音節を分割する50音、物質を分割する周期表、弥生人の文化として拡がった、土地を分割する田んぼなどなど。

そしてその分割の究極がAIであり、マネーテクノロジー。 

このマネーテクノロジーがもたらしたのは、
「棒がより長い方がエライ」の価値観。

それがマンハッタンなど大都市の高層ビル群にも顕れている。

要はでもそれってマインクラフトじゃん!と
彼は叫ぶ!!!

そしてAIはグリッド自体が自律的な意思をやがて持ち始める、それこそ「グリッド神話」の頂点。

AIが支配する社会構造で、自動車昆虫が大地を覆い尽くす時、人間は道具に惑星の指導権を奪われてしまう異質な文明に遭遇する。

そして、その過程で大きな分岐点になるのがAIが教育を支配する時だ!!!

それは間違いなく訪れる未来。

AIの教育を受けて育つ子ども達は、分割処理により算出された、人類による教育より遥かに「適切な」対応を受けて健やかに育つが、

俺達と決定的に違うのが、人間に育てられておらず、人間よりも人工知能を信頼していること!!

彼ら次世代に、俺らは何を伝えていける?

それが2017年のから2039年まで考えないといけないこと!! そう小林健太は私達に問いかける。

そして、その時が来たときに目の前に訪れるクソさは、笑えないレベル!だと。

だから、キミが気づいた今から準備し叡智の学習を始めておかないといけない!!と。

スマホの後ろにある字は、ある時点まで人間が使うものだったのに、いつのまにか人間が数字に使われる文明になっていきつつある。

その代表であるSNSは、ユーザー自体が広告であり、ユーザーの”遊び”を広告化することで、”遊び”をどんどん奪っている。

いまAIが作り出す究極のグリッド構造には、グリッドというベースプログラムの中で戦っても個人の分析知能は決して勝てず、この構造から脱出できない。

また、このグリッドを管理しているのは、特定の個人ではない、全ての人を含んだ集合知の群れそのもの。

そして、その集合知は、私達の思考が形づくるものであり、AIは逆に私達の思考の限界を見せてくれる(=縁取ってくれる)存在でもある。

思考の限界を、あのAIが見せてくれるなら、こちらは思考=分割グリッドを超えるしかない!

だから思考を越えるには、体=触覚を取り戻すこと!!!

彼、小林健太にとってアートはあくまでも、それを広めるための広告システム(その広告手法として、AIには真似のできない”遊び”がカギになってくる)

そのための”群れ”がオンライン&オフラインの湘南で立ち上がっていて、彼は脳の思考から抜け出すための学びを受けている。

結局は体を育てて学び続け、観測を拡げるしかない!!!という事実。

そしてiPhoneの目の前の数字は改めて群知能である。

例えば100億円あったら、どれだけの人が動きますか?その経世済民をアナザフロンティアスクールの経済学では学べる。

この戦争経済とは、この数字を見て「その中にどれだけの人を動かす力があるか」それを理解できる天竜人の掌の上で踊らされている社会でもある。

例えばもし100兆円手に入ったら、この世界にどう使うべきかキミはすぐに答えられますか?

この100兆円をどう使えば世の中を進化させられるか?と具体的に考える気のある人だけが、この群知能戦争経済を越えて、触覚の宇宙経済をやるべきだと響社長はよく語られます。

アナザフロンティアスクールはそれを考案し実践する人達の場所でないといけないと。

この100兆円に対するアンサーは、人のための集合知(全身、体のための群れの知能テレパシー)下腹重心の体得事業の構築であると響社長は説きます。

なぜなら同調圧力情報のための集合知(海馬と前頭葉、記録、偶像、名詞化、固定化、でももはや記憶が無いので思い返すことはできない)ゆえに、最終的にその数字は全てAIがもっていくのが近未来だからである。

見せかけの美しい現実、低解像度、裏では
ドローンが飛んでいて、こども達が先進国の自己愛の沼に対比するように、世界中は教育格差に苦しみ、それから目を背けるために、先進国は代替現実のVRを一家に一台ちょっとずつ違う情報から、それぞれの趣味向にあったのを選んでね状態になり、この調子で2039年に向かい近づいていく未来に過ぎないだろう。

だからこそ一つのプログラムを重ね合わせ持った無限のバリエーション、平面のグリッドの群知能(自動運転システム=自動車昆虫)への怠惰な適応でなく、

人体球体感(下腹重心)への情熱的適応を目指すのがアナザフロンティアスクール。

その球体のなかに、人がいて、群れとしていて、惑星として同期していて、惑星1つがひとつの量子コンピュターとなる触覚認識(ぬくもり)そこで産出されるもう一つのアナザーな文明は、人体がもっている9割以上の未使用の部分、触覚(ラポール)が伸びていった時の人体シンギュラリティーの足育レボリューションが起こる!!!のです。

足育で起こる瞳のシンギュラリティーは時空の解像度をあげていく、まだ開花されていない人体の解像度が後世の世代毎事にあがっていく、この時空の見え方が激変するゆがんだ循環を改善したい!これがアナザフロンティアスクールのドリブンなのです。

要は整った裸足で味合うサラダの上からでないと新しい文明、新しい芸術も明るい科学も産まれないというのが、アナザフロンティアスクールの方針でもあるという意味なのです。

目の前の日常の解像度のレイヤー、秩序(対称性)の誕生と無秩序(螺旋を生む事)によって、どうゆう観測を日々するか?それが未来に逆行するぼくらの鍵となる。

しかし現代観測者が、今ぼくらの文明においてどの解像度にいくか?よく見てほしい。

この今の地球の全体の総意は残念ながら3次元の視座から2次元的なものへ移行しつつある。

それはスーパーフラット、ポストスーパーフラット(平面化、すべての人間が情報化、VR、平面的な世界に)まさに高度な群知能な1.5年生型文明へのある種の進歩共同幻想でもある。

そして近代技術の結晶であるキノコ雲(核戦争の結果ぼくらの身体は恐怖にさらされた)

ゆえにSPは冷戦危機なるキューバ危機(第三次世界大戦)を止めに来たのだ。

そのSP情報、ロズウェル事件の真相から庶民を世界的に遠ざけていくために、当局は情報工作で快楽的なものに庶民を3Sでさらし続けた。

よって軍産複合体が敷いたこの情報世界に逃走していくと、淡々と呑気に僕らの人体は劣化していく未来が待っている。

この解像度の低い未来予告にタッチして、VRとかフォトショとかさわったりレンブラントとか色々みて、言語のしくみとかまでをみて、高い解像度の方にアナザフロンティアスクールの学徒らには行ってほしいわけです。

そもそも高い解像度は響社長が教えてくれるこの触覚現実だが、それに基づいて文明をつくるのがアナザフロンティア行動の本望でもあります。

さらに参考となるのが地球の植物群であり、彼らは昆虫らの群知能とは違い解像度が高いのです。

それは植物フラクタル、ひいても寄っても無数にフラクタル図形が描かれてる命なのです。

この植物フラクタルフォーカスのミクロとマクロが次々とつながっていく圧倒的風景、この風景には全部明るい科学的発見があるだろう。

しかしいま鼻息荒く突き進んでいる2次元の世界だと、この植物フラクタル図を描き出したところで、単なるドットになって終わってしまうわけです。

例えば血管、山脈、うず、植物(根、葉脈)渦:貝、竜巻、球体:星をつくり、植物と共に息して、この人体をつくる美しさ。

この美しさは個体や環境により差異はあるが中心には共通の秩序=内的秩序があります。

そして今、SNSで主張し合う個性は植物群とは違い所詮、名詞的であり、群知能的であり解像度が低いのが現状です。

これでは未だちがう時空をみてきた者同士が出逢い、時間の対話が始まり縁起をもち、重なりあい矛盾を矛盾なく解け合わせる植物のようにテレパシーなまぶしい絡み合いには近づけそうにありません。

しかしそれに近づく姿勢の保持、その人体賛美こそがひとつの明るい科学や芸術の極致であり、人体の進化の風景でもあるのだと!!!アナザフロンティアスクールでは、Newtype先駆者である響社長から教わり続ける事ができます。